お墓参りは祖先の為だけに非ず自分の為にも成る行為
管理人の鬼葉と申します。
私は鬼親と呼ぶのか毒親と呼ぶのかは分かりませんが、恐怖の対象で有る反社の父に抑圧されて育ちました。
様々な仕打ちで私の人生はとても大変なものでは在りましたが、今は呪縛も解けて大切な家族と暮らせて居ります。
自分が苦しんだからこそ理解できる事や言える事も有るかも知れないと思い、このブログをスタートさせました。
私の様な親に虐げられて生きている方々もきっと居ると思いますが、その様な方々が一人でも親の理不尽な呪縛から解放されて、晴れて自分の人生を歩めるのを願って居ります。
そんな私も母のお墓参りに行きます。
私がお墓参りに行くのは故人の為でもありますが、自分の為にも行っています。
お墓参りの時に手を合わせながら、心の中で現状はこんな風だと報告と、今こんな事をやっているとか、こんな事を叶えたいと言う事を報告します。
そうする事によって自分を客観視出来るので、今の自分の現状を頭で整理するのにも、目標を改めて誓い直すにもとても良い機会に成ります。
大切な事は、お供え物や花では有りません。
お墓の前で手を合わせて故人を偲ぶ事です。
そうして故人と自分を見つめ直す為にお墓参りをする事が大切です。
参考記事リンク→お墓がいらない場合に生前にやるべきことと注意すること【FP監修】
私がお墓参りをする理由と心の安定
私の母は、私と同じく父に虐げられた生活からかも知れませんが、今の私と変わらぬ年齢で病に倒れ、もうこの世に居りません。
若くして癌と闘病し、余命宣告よりも長く頑張ってくれましたが、力尽き旅立ってしまいました。
本日は私の大切な家族と共に、そんな母のお墓参りに行って来ました。
せめて母の墓前に大切な家族を連れて行って、一緒にお参り出来た事は嬉しく思います。
そんな母の墓に参る度に思うのは、大切な人の墓参りをすると言う事は何よりも自分の心の安定に繋がると思うのです。
母は故人となり、今は物言わぬ存在です。
なので私の事をどう思うかは正直分かりません。
私はそんな故人と成った母を思って、お墓参りに行って来たつもりでした。
物言わぬ故人がどう思うかは知れませんが、私自身が大切な人を偲んでお墓参りを出来た事で、心が暖まるのです。
そんな風に故人の為にと行った墓参りで、実は故人よりも私の方が心に安らぎを得られて、心の安定に繋がっているのかも知れません。
だからこそ皆さんも、大切な故人の為にも、そして何よりも自分の心の安定の為にも、お墓参りに出かけて見てはいかがでしょうか。
今心が苦しい方や、忙しくて心に余裕が無い方こそ、ぜひ一度心を落ち着かせる為にも大切な方のお墓参りに行って下さい。
何よりも自分の為に成ると思います。
それでは最後まで読んで頂き有難う御座いました。
また違う記事でお会い出来るのを楽しみにして居ります。
人気記事リンク→【故人の意思を叶えるために】必要な散骨の手続きと準備解説
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